2018年11月28日
地球環境
研究員
野﨑 佳宏
これまで入った温泉で一番遠かったのは、北アルプスの高天原(たかまがはら)温泉である。たどり着くまでに、片道3日は歩く覚悟が必要になる。この高天原温泉に匹敵するか、それ以上に困難を極めるのが、今回紹介する阿曽原(あぞはら)温泉である。
阿曽原温泉は富山県・黒部渓谷鉄道の終点・欅平駅から1日歩けばたどり着く。その意味では、高天原温泉より「近い」かもしれない。しかし、そこに至る道はどう、控え目に見ても尋常ではない。幅数十センチしかない「水平歩道」と呼ばれる、黒部峡谷の断崖絶壁に張り付いた道を5~6時間かけて歩く必要があるからだ。
絶壁にへばりつくような水平歩道
水平歩道の起点に掲げられていた看板
この地域でのトンネル工事の過酷な労働を描いた吉村昭の小説「高熱隧道」に、「黒部に怪我はない」という一節がある。落ちたら確実に死ぬから、怪我人は出ないという意味だ。今夏、実際に歩く機会を得たが、その言葉は脅しではなかった。少しでもバランスを崩したら、数百メートル下を流れる黒部川まで一気に落ち、死体すら上がらないだろう。知ってはいたが、実際に現地を一人で歩くとなると、緊張どころではない。通り終えた時は喉がからからで、炭酸飲料が飲み込めなかったほどだ。
無事に阿曽原温泉に到着し、テントを張って寝ていると、背中が熱くて途中で起きてしまった。なぜなのか。
そもそもこの水平歩道は、「黒四ダム」として知られる黒部川第4発電所の下流に位置する、仙人谷ダムの建設に向けて戦前に作られた作業道である。吉村の小説ではダム建設に必要な隧道工事の際、摂氏160度を超える高熱の岩盤でダイナマイトが自然発火したり、雪崩による宿舎破壊などで300人以上の労働者が命を落としたりと、壮絶な難工事の様が描かれている。水平歩道を使って資材を運搬する作業員の転落事故も日常的に発生していたという。
そして、阿曽原温泉は当時の作業宿舎跡に作られた。筆者はまさに高熱の岩盤に阻まれた難工事の現場近くで寝ていたことになる。背中が熱くても不思議ではない場所だった。
仙人谷ダムの建設は戦前の話である。軍需物資製造のための電力確保の観点から、国策を優先して作業員に過酷な労働を強いていた。労働者の人権など二の次だった時代の異常な工事だ。労働者の過酷な実態を描いた昭和初期の作品として有名な小林多喜二の「蟹工船」も同じかもしれないが、安い賃金、劣悪な環境で働かされ、労働がお金と命の交換だった頃の極限の労働環境を吉村は著している。
しかし、過去の話と切り捨てることができるだろうか。過酷な労働がこの世界から根絶されたかと聞かれれば、答えはノーと言わざるをえない。海外では日常的な児童労働が発覚した例などもある。少女たちを低賃金で強制労働させた事実を、NGO(非政府組織)が暴いたことをきっかけに不買運動が広がった例もある。これとて氷山の一角で、労働者軽視によって成り立っているビジネスはまだ隠れているのかもしれない。
一方で、そんな悲惨な状況を変えるかもしれない胎動も聞こえてくる。労働者酷使を人権問題としてとり上げたり、世界中で広がる環境問題に配慮する「フェアトレード」のような動きである。加えて、人権や環境問題の解決に企業がどれだけ取り組んでいるかを考慮して投資を行う、「ESG投資」も最近よく聞かれるようになってきた。
ESG投資とは環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)の英語の頭文字を取った言葉で、それらに配慮している企業を選別して行う投資のことである。国連が2006年に責任のある投資を機関投資家に呼びかけたことがきっかけだ。今、投資家は短期的な利益追求だけでなく、長期的な持続可能性と社会的責任の問題について企業がどう対応するかに注目し始めている。
ESGの側面から企業の社会的責任を評価する代表的な指数に、「FTSE4 Good Index Series」がある。英国のESG評価会社、FTSE Russell社が作成した世界の主要企業約3000社を対象とするESGの評価指数である。約500社の日本企業に限定した同種の指数は「FTSE Blossom Japan Index」と呼ばれる。独自の基準で組入銘柄を選定し、社会カテゴリーの基準として「人権」「労働基準」など労働環境に関する評価項目を採用しているのだ。
世界最大の機関投資家である日本の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は投資判断する際に、この「FTSE Blossom Japan Index」を基準の一つに挙げている。さらに、人権や労働者の権利に関する不祥事が発生している銘柄については、採用対象外とする指針も公表している。
年金や保険のような巨大な機関投資家から見放された企業は、株式を売却されるなど、金融市場からの厳しい対応に直面する可能性がある。これまでも問題企業に対する不買運動などはあったが、そこに「投資」という新たな要素が加わわり、企業に圧力を掛け始めている。
このように企業にとっては、労働問題等の社会カテゴリーのみならず、環境やガバナンスを含めたESGを考慮した誠実な経営を目指す必要性が出てきた。
ひるがえって、労働者の人権など無視され、国策として仙人谷ダム建設に邁進していた戦前。ESG投資という考え方があったらどうなっていただろうと、つい考えてしまう。労働環境が改善され、犠牲者は減っただろうか。それとも投資家とは無縁の国策ゆえに、悲惨な実態は隠蔽されたかもしれない。
さらにさかのぼれば、奴隷制の下で強制労働を強いる時代もあった。むしろ人類の歴史を眺めれば、こうした時期が大半だったと言える。「労働とはそういうものだろう?」と歴史が冷酷に言い放つような気もする。
しかし、21世紀になって「持続可能な社会」「社会的責任」といったキーワードが出現し、長い"常識"が打ち破られようとしている。何千年も続く歴史からみれば小さなことなのかもしれないが、その実現手段として生まれたESG投資が世代を超えて受け継がれるものであってほしい。
野﨑 佳宏